連載小説「いしのわた」最終話

 

手 紙

 

 

 

 国とアスベスト製造企業を訴える裁判が始まった。集会や裁判所の期日も始まった。この頃になるとアスベストで亡くした奥さんたちとも馴染みになり集まりの後には喫茶店によることが小さな楽しみになっていた。

 

 松本が話しだした。

 

「皆さんはアスベストで病気やご主人を奪われた人たちです。裁判官は皆さんの苦しみをなかなか理解出来ません。お一人お一人が自分の苦しみや想いを手紙にして出すことにしました。思い出すことも苦しいと思いますが宜しくお願いします」

 

美代子は手紙を何年間も書いたことが無かった。自分の想いを書けば良いという説明なので書くことにした。

 

 

 

大場成敏裁判長殿

 

私の夫、石川茂夫は中皮腫で亡くなりました。 六十二歳というまだまだこれからという若さの死でした。背中が痛いと言いはじめたのが九月で、その翌年の  月に亡くなりアッという間の出来事でした。大病したことが無かった夫が八月頃よりお腹まわりが引き裂かれるように痛くなった時や時々めまいがして倒れることもありました。手術してからも激痛を止める薬の副作用なのか突然、幻覚症状なのか独り言や部屋の中を歩き廻ることもありました。水も飲めなくなりました。

 

働けなくなったら福島県で暮らそうと一生懸命に働いて来た夫がかわいそうで、私は悔しくてなりません。夫が亡くなってから私はうつ病になりました。私も夫と現場で大工工事の手元として働いていたので私もいつアスベストで苦しむかもしれないと思うと眠れないのです。専門の先生に診察してもらったらアスベストを吸った痕跡、胸膜プラークは診られるけど健康には心配ないと言われたので少し楽になりました。

 

アスベストが身体に悪いことを国も製造会社も知っていたと聞きました。なぜ私たちに教えてくれなかったのでしょうか。そして、なぜ隠して使わせたのでしょうか。お父さんは国と製造メーカーに殺されたと言ったら言い過ぎでしょうか。アスベストが建設労働者の身体を蝕み死に追いやった国と製造メーカーに謝らせ償わせることが妻の使命です。私たち建設職人を見捨てないようにお願いします。

 

 

 

独り食卓テーブルで書いた手紙には、涙の跡が無数にこぼれていた。